堀 晃 のポレポレ通信

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2010年06月14日(月)

牛山雅弘君の死を悼む

  昨日の朝、新聞を開いて我が眼を疑いました。お悔やみ欄に 牛山雅弘72歳 とあるではありませんか。真坂あの牛山君が、そんなはずは無い。今年の春先も行き会ったばかりで、田んぼや畑の話をしたり、オリンピックのスケートの話をしたときには、これからの人生の過ごし方などを聞かせてくれたではありませんか。具合が悪いなんて聞いたこと無いぞ、と。でも間違いなく牛山雅弘君でありました。全身の力が抜けてしまいました。
 雅弘君との出合いは高校一年のときに遡ります。高校へ入ったら一年六部、同級生であありました。一番初めに友達を意識したのが雅弘君でありました。雅弘君は、授業でやるバスケットボール等で素早さを発揮し、小柄なからも大活躍でした。
 大学を卒業して茅野高校の教員として戻ってきた雅弘君は、陸上競技で力を発揮しました。一緒に参加した県大会では、走り幅跳びの傍らを走り抜ける私に大きな声援を送ってくれました。私は幅跳びのピットに行って応援をしたものです。雅弘君の県大会での活躍は言うに及びませんが、昭和40年、41年と2年連続、国体に長野県代表として出場を果たしました。そして諏訪選手権の走り幅跳びの六年連続優勝は今でも燦然と輝いています。
 昭和51年の長野インターハイ、53年の長野国体の審判の任務を無事に果たした雅弘君は、スケートに専念するようになりました。
 スケート界における活躍は列挙し切れないほど、眼を見張るものがありました。既に広く知られているところであります。
 私的に取り上げさせていただきますと、一つには、岡谷南高校時代、今村、宮坂の両選手を抱えて、全国制覇し、世界ジュニアへ二人を連れて行った頃が絶頂期ではなかったかと思います。そのときのお土産は今でも大切に取ってあります。他にも多くの選手を育てたり、高体連やスケート協会の役員、大会役員・審判員をいくつかこなし、県スピードスケート界をリードしてきました。
 この間、スケート大会のプログラムや年鑑などの印刷をやらせていただきましたことに感謝しています。 
 二つ目は、教員退職後の「長野県スケート連盟史」の編纂の仕事を立派にやり遂げたことではないでしょうか。膨大な資料をよく調べ纏め上げたものであります。丁度その頃、私は「茅野市スポーツ史」の編纂を進めていましたので、茅野市に関係するところの記録や写真の提供をいただきました。私の方からも若干の資料を提供もさせていただきました。
 又、平成7年54歳の時、飯田市で行った県マスターズ陸上競技大会は苦い思い出になってしまいました。100m競走のスタートで足を痛めてしまったのです。誘った私にも責任があるのではないかと、あの時は悪いことをしてしまったと悩んでしまいました。
 特に二人でどこかへ出かけるということも無かったし、二人で何かを計画するということも無かったけれど、年に3、4回「おいおい」「やあやあ」と声を掛け合うことで深く繋がっていたように思います。近くに牛山雅弘と言う友がいるというだけで、心の安らぎを覚え、頼りになり、安心感を与えてくれるのでありました。
 昨日の弔問の際、雅弘君の家の周りは、趣味としていた庭木作りは玄人の域に達していましたし、家庭菜園の野菜たちは行き届いた手入れの賜物でありましょう、すくすくと成長していました。
 今までも自適の生活を楽しんでいたと思いますが、夢多くロマンチストでもあった雅弘君は、恐らくまだまだやりたいことが沢山あったことと思います。
 残された奥さん、お子さんの悲しみは如何ばかりか、計り知れないものがありますが、私も切なく、悲しく、悔しくてなりません。
 一足先に黄泉の国に行かれた雅弘君、悲しみも苦しみも無い国だと聞いています。どうか安らかな時をお過ごしください。いずれ近いうちに私も仲間に入れてもらいます。そのときは、ちょいと一杯やりながら思い出話に花を咲かせ、スポーツ談義に花を咲かせ、男のロマンを語り合おうではありませんか。
 でもそんなにすぐには行けないから、悪いけれど一寸待っててよな・・・。
                       合 掌  

Posted by 堀 晃 at 07時44分   パーマリンク

2010年06月12日(土)

坂室バイパス大詰めへ  

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 坂室バイパスの工事が大詰めを迎えようとしています。トンネルは既に昨年10月26日に貫式が行われ、内部工も順調で舗装がこれから行われます。
木舟側の取り付け工事に取り掛かります。写真の人が立っている辺りがバイパスと原道との交差点になります。山側に道路があるために、位置を変えることができないので、今の道よりも勾配がきつくなるようです。
JR側へ歩道をつけるため電柱が山側へ移動します。このため樹木伐ることになります。
茅野区側の取り付け工事も発注済であります。
来年3月までに、防災、証明、電気などの工事を終え、信号も木舟側入り口と西茅野交差点、茅野交差点の3箇所に設置されることになっています。

Posted by 堀 晃 at 19時45分   パーマリンク

2010年05月20日(木)

小学5年生の田んぼ

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今日は1部と2部が代踏み。並んでたて横のあとは自由に、これが泥投げなどでたまらないらしい。

 宮川小学校5年生の田んぼ作りのお手伝いをすることになりました。
まず始めは孫たちと巻尺で面積を計る。計算はそろばんを習っている6年生に任せた。387u。
「タブチ」はスコップと鍬で何とかしようとした痕跡はあったが、異常に固い田んぼであったので、トラクターで耕起する。進入路がなく、不整形な三角田んぼで有るので思わず時間がかかる。
校長室で打ち合わせ、肥料は生ごみ堆肥の学校還元のものを使うということなので、不足する苦土・珪酸・りん酸・カリの補給をしてもらうことにした。
水口も中途半端なものであったので、子どもたちがやり安いように直す。代掻きのために水を入れたが、これから先学校でどこまで水管理が出来るか心配である。   

Posted by 堀 晃 at 09時55分   パーマリンク

2010年05月15日(土)

ビーナチャンネルわがまち紹介 「両久保区」

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 今日からビーナチャンネルの「わがまち紹介」に両久保区が登場しました。5月いっぱい放送されます。毎正時過ぎです。放送内容は次のようなものであります。チャンネルを合わせてみてください。

 私たちの住む「両久保区」は、おんばしら街道長峰の南に位置し、東は北久保区、南は坂室区、西は茅野区とひばりケ丘区に囲まれたところであります。
 区内には「わかば保育園」があり、宮川小学校、長峰中学校、茅野高校が隣接し、南側の一角を中央自動車道が通っています。

 昭和40年頃から宅地開発が進み、茅野市誕生時は約30戸と茅野市で一番小さい区でありましたが、今は約620戸、約1900人が日常の暮らしを行う、宮川で2番目、茅野市でも7番目の大きな区となりました。

 両久保区の設立は明治8年でした。前年に誕生した宮川村の二久保新田村(戸数9戸)と舟久保新田村(戸数8戸)が合併して「両久保区」となりました。舟久保と二久保の間の尾根筋の宅地化が進み、昭和42年ここを「両久保新町」と名付け、新しい両久保としてスタートし今日に至っております。

 区内には2つの産土様があり、1641年に祭祀された「大己貴命社」と、1686年に祭祀された「十五社神社」であります。「大己貴命」は建御名方の父神、大国主命の別名で、15社は建御名方夫妻とその子ども13人の神であります。従って9月26日の小宮祭は両神社同時開催で、分担して曳行、建ておんばしらを行い、お祭りは全員で行います。

 区を挙げて取り組んでいる「クリーンデー」事業は区内の環境美化と区民協働の場として定着しています。
 700人もの区民が一堂に会する「両久保フェスタ」は昭和50年に始まった「両久保夏祭り」が進化発展したもので、区民の融和と連帯に大きな役割を果たしています。

 他区には見られない活動として「両久保エコファーム」があります。今から5年前有志の協働により、遊休農地を生産緑地とし、景観形成・環境美化、地産地消を推進しようと立ち上げたもので、およそ100〜120aの田畑を管理して、米、馬鈴薯、プチヴェール、さつまいもなどを栽培しています。生産物は地域の皆さんに販売すると共に、宮川小学校、長峰中学、わかば保育園の給食に提供しています。なかでも、さつまいもから作る焼酎は「両久保浪漫」と命名、会員が楽しむとともに、JAひばり店で販売もしています。  

 活発に行われている区民活動に、昭和59年発足の「囲碁クラブ」、平成元年発足の「林之峰歌会」や、「萌え木の会」、民謡の会」、「愛の会」、「見守り隊」、「お助け隊」、昭和39年に結成された高齢者クラブ「あけぼの会」などがあります。
 子ども会育成会は、チルドレンファームやお泊り会などで交流を深めています。
 少年野球、少女ソフト、ゲートボール、ソフトボールなどもかつては盛んで茅野市のリーダー役を務めてまいりました。

 公民館活動も、学習、広報、スポーツの分野で活動を展開し、地区の野球・バレーボール大会では優勝を何回も経験、市分館報コンクール最優秀賞も数ありました。昭和44年に開催した第一回区民文化祭、江戸時代に久保田春壷、堀茶山の俳人を排出した風土を受け継ぐかのように毎年続けていま。

 高齢者世帯が増えていますが、若年層も多く宮川小学校児童数は宮川で一番です。
 区民会館、放送施設の見直しの時期に来ていることと、道路整備も課題となっていますが、健康で活気あるまちを目指して、区民心を合わせて行きたいと願っています。

Posted by 堀 晃 at 20時49分   パーマリンク

2010年04月30日(金)

ポレポレ通信第10号

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年に一回出している[堀晃の議会・市政報告『ポレポレ通信』]の予定地域と予定した方への配布がほぼ終了しました。今号はA4の8ページ建て。
3月に刷り上ったものですが、なかなか予定通りには行かないものです。団地は孫たちが配りたいというので一緒しました。区内と周辺区を妻と2人で配っていたら、見兼ねた方が、大変だからと24日後援会の役員を大動員してくれました。残りは妻と25日と27日に行い一段落となりました。アパート関係は配布できないところがありましが、残りは300部ほどですので近々終わりそうです。

反響もありました。電話、メール、はがき、手紙までありうれしい限りです。「ために成ることが沢山書いてある。」「面白い」「財産区って凄いな」「木落とし公園のことは切っ掛けについてもっと詳しく書きなさい」(自分のPRみたいなことは勘弁してください)「パンはご飯ではないは大賛成、瑞穂の国だから米を大事にしなければ健全な肉体と健全な精神は宿らない」[自然環境を守る姿勢が浮き彫りにされている]そして貴重なアドバイスをいただきました。更に「サーターアンタギーのレシピが欲しい」と様々でした。サーターアンタギーの普及も進みました。
 懐かしい人からの便りは特にうれしいものでした。  

Posted by 堀 晃 at 20時55分   パーマリンク

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